マンスリーへむく ―現場の声―:2020年12月

マンスリーへむく ―現場の声―:2020年12月

瑞宝小綬章の受章に際して

兵庫県災害医療センター名誉センター長 小澤 修一

 勲章で旭日章は主として民間が、瑞宝章は公務員等が受章するそうですが、私の場合は救急・災害医療での公的貢献で、兵庫県災害医療センターが受章したのを私が受けたことになります。そもそも高い志で救急・災害の道を歩んだのではなく1984年サラエボ冬季オリンピックの時に肝炎で倒れ、1985年阪神タイガース優勝の時に再発し、予後15年といわれ、何か1つ位いいことを、との思いでこの道に来ました。1988年神戸大学医学部付属病院救急部発足時部長が故松本悟脳神経外科教授で第2外科講師であった私が専任助教授となり、1989年、平成元年2月より本格的診療を開始しました。センター初代救急部長の冨岡正雄先生が整形外科研修医で3か月後の第一回研修医勉強会で多発外傷の1例を発表してくれました。1年後に第1外科から藤尾陽一現北大阪病院長が助手として、2年後に第1外科出身の中山伸一センター長がオハヨー州クリーブランドクリニックからおはよーと助けに来てくれました。現在1外2外が合併した外科に阪大特救出身の松山重成救急部長が参加していますが隔世の感があります。故石井昇初代災害救急医学講座教授が医局長で、彼の勧めで小川恭一神戸須磨合併後の初代神戸赤十字病院長がこども病院院長に転出された後の姫路循環器病センター心臓血管外科部長に転出しました。その1か月半後の1995年1月17日にあの阪神淡路大震災が起きました。その時もうあかん救急から逃げた罰があたったと感じ、災害医療センター設立の話に乗ってしまいました。話がとん挫したとき当時県立西宮病院長の鵜飼卓先生が面倒見るよとおしゃっていただきました。すったもんだで2003年、平成15年8月兵庫県災害医療センターが開設しました。その後2012年までセンター長を務め2016年まで神戸赤十字病院長、現在西記念ポートアイランドリハビリテーション病院長をしていますが、現在も名誉センター長として木曜午前にお邪魔しています。
 今回の受章では、10月初旬井戸兵庫県知事から直接電話で内示があり、車を運転するなら交通違反もダメですと言われ、大変だと思いました。

 現在特任教授をしている兵庫県立大学院経営研究科の厚労省出身の教授からCovid-19で東京に行かずに済んでよかったといわれ、昨年後藤武初代病院事業管理者の盛大な受賞記念パーティを思い出しました。両陛下に拝謁できなかったのは残念でしたが、阪神淡路大震災20周年の行幸啓で、兵庫県災害医療センターに来られ、平成両陛下から、中山センター長、西村病院事業管理者と私にここまで来るのにご苦労なさったでしょうと言われ涙があふれたことを思い出し、これ以上望んではいけないと思いました。
 私の座右の銘です。

 平成十八年(2006) 歌會始御題  笑み 美智子皇后陛下 神戸大震災の復興 

笑み交(か)はしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ