HEMC Reports

2023年2月:トルコ共和国に光あれ!

兵庫県災害医療センター 副センター長兼整形外科部長 矢形幸久

 私は以前から、国際緊急援助隊(JDR)の医療チームに登録しておりました。これは日本政府が海外で甚大災害が起こった時に、被災国からの要請で派遣する医療チームです。ただ、国内災害の時のDMATや日赤医療班と明らかに違うことは、診療に必要な資機材を現地に持ち込んで、手術や分娩、透析といった治療を提供できる、大規模なチームであることです。

 2023/2/6の発災後、早い段階でJDR救助チームが現地に入って活動し、そのあとほどなく医療チームの派遣が決まりました。日本は現有するフル装備を展開する、つまりは現地で手術まで行う用意をするという情報が入り、整形外科医のニーズはあるだろうと考えて、2次隊の募集に手を挙げたところ、派遣に選定していただきました。

右端はHEMC OB、はり姫の水田先生

 活動について詳細を書くと、紙面がいくらあっても足りなくなるので、ここでは本筋をはずれて、私が心動かされたエピソードを二つ。

 我々の隊(2次隊)は3/23夜の便で日本を出発し、成田→ドーハ→イスタンブール→派遣地ガジアンテップと乗り継ぎました。日本政府の事業としての派遣であり、当然ながら移動中もJAPANの文字の入ったキャップとベストを着用し、日本人のみならず外国の人が見ても一目で日本の援助隊だと分かるため、当然ながら規律ある行動が求められます。

 ドーハ(カタール)からイスタンブール(トルコ)に飛ぶ便の搭乗を待っていると、同じ便に乗る女性に英語で話かけられました。

「トルコに支援に入るんですか?どのエリアに?」

「ガジアンテップですよ。」と答えると、見る見る女性の目に涙があふれました。

「ごめんなさい。地震で知り合いや親戚を何人か亡くしたものですから、感情的になってしまいました。遠くから来てくれてありがとう。」

 イスタンブールからのトルコ国内線は小さな機体で、かなり混み合っていました。私の隣に座ったのはトルコ人の若い男性でした。ガジアンテップの空港に着陸が近づいたとき、その男性が私の肩をたたいたので、何かクレームでも言われるのかと身構えたところ、私にスマホの画面を見せてきました。そこには、翻訳アプリの画面が写っており、

「トルコ共和国のために遠くから来てくれたことに感謝します。」と日本語の文字が書かれていました。

 コロナがまだ終息していない時期でしたので、お二人にはマスク越しに笑顔を返すことしかできませんでしたが、こんな言葉を聞いて意気に感じないわけにはいかないぞ!と思った道中でした。

 日の丸を胸に、日本中から集まった志高い隊員の皆さんと一緒にミッションを行えたこと。遠く離れた異国の地であっても、日本や日本人をリスペクトして、好きでいてくれる人たちがいることをダイレクトに感じて、そんな人たちとの間に友情を育めたこと。被災地トルコのために、わずかでも役に立てたのではないかということ。

 そんな貴重な経験をするチャンスをいただいた家族、災害医療センター、神戸日赤、そのほかの関係者の皆さんに感謝いたします。

 国際緊急援助隊(JDR)の活動に興味を持たれた方、遠慮なくご連絡ください。

イスタンブール国際空港にて

写真提供:国際緊急援助隊(JDR), JICA

 

トルコ・シリア地震における国際緊急援助医療チーム2次隊派遣

看護部 高橋 龍矢

2023年2月6日の地震発生日は日勤でした。地震情報をメディアで知り、派遣の可能性を見据えて所属長に派遣する意志がある旨を伝えたのがはじまりでした。その日、自宅に帰りすぐさま家族会議を開きました。

2019~2021年度まで国際緊急援助隊医療チームのコアメンバーとしてマニュアル整備や資機材調達・研修の企画運営に携わってきたこともあり、いつか現場で被災者のために貢献したいという強い気持ちを抱いていました。もちろん、院外活動に熱を入れるからには院内活動ともバランスをとり、周囲のスタッフから認めてもらえるように平時から自部署や委員会活動にも積極的に取り組んできました。一方で、発災時は年度末で院内のマンパワーが不足しており、自身も4月から認定教育課程が始まる状況でした。

その数日後、国際緊急援助隊事務局より派遣隊員の募集メールが届き、所属長へ自分の熱い思いを伝えました。結果的に、看護部を代表して応募させて頂き、全国の国際緊急援助隊医療チーム隊員の中から選抜される運びとなりました。この手挙げする背景には、同部署の仲間や上司など様々な方の理解や後押しがあっての応募であったため、重圧を感じながらも自身のパフォーマンスを最大限発揮することを心に誓いました。

2月23日の夜に東京シティエアターミナルにて参集し、日の丸の防止とベストが配布され身が引き締まる思いでした。全国から選抜されてくる面々は有名な方ばかりで緊張半分、楽しみ半分(いい意味で)な気持ちでいました。結団式を終えて、羽田発のイスタンブール直行便で約13時間かけてトルコへ向かいました。その後、国内線でイスタンブールからトルコ南東部にあるガジアンテップ県へ移動し、活動拠点に到着したのは2月24日の昼(トルコ時間:-6時間)でした。

活動ミッションは、ガジアンテップ県内の病院避難している国立病院の支援でした。活動計画として、大まかに1次隊により診療サイトにて資機材展開~診療開始、2次隊により診療継続、3次隊により診療継続~資機材撤収の予定であり、私たち2次隊はフルスケールでの診療を2週間継続しました。また、本派遣では国際緊急援助隊医療チームがWHOからEMT認証を受けてから初となるType2での実践であったため、大きな挑戦となりました。

※Type2:外来、処置室、病棟(透析含む)、手術室(産科対応含む)、検査室(輸血含む)、リハビリ室、X線検査室を兼ね揃えたフィールドホスピタル。

疾病層としては、呼吸器感染症(インフルエンザ・COVID-19感染症など)や妊婦、生活習慣病による膝痛や腰痛、小児の感冒症状、非災害関連性の外傷が多く、1日で約100名の診察を行った。中には、地震が恐くて家に戻れず車中泊を続けて体調不良を起こした家族や、倒壊建物から自力で這い出してきて初めて受診する被災者も見受けられた。私は手術担当でしたが、手術のニーズは低く2件のみであった。

しかし、これまで整備してきた運用方法や資機材を使って安全に手術できることは証明することができた。手術がない時には、柔軟に外来担当となり被災者とトルコ語で言葉を交わしながらの予診や急変対応、リーダーとしてのメンバー采配や現地保健省への報告に同席するなど、大変貴重な経験をすることができました。

この他にも伝えたいことは尽きないですが、「とにかく1分1秒も無駄にせずに、何でも自分にできる事はやる!何でも吸収する!」精神を持ちながら2週間駆け抜けました。被災者との信頼関係を築くために毎晩30分のトルコ語勉強と就寝前の日記を日課としていました。また、心の中では常に院内の仲間が支えてくれていることを思いながら感謝の気持ちで活動しました。

今回の派遣では、個人およびチームとしての成果や課題が明確となったため、次の派遣に活かせることができるように研鑽を続けたいと思います。派遣するにあたり支えてくれた家族をはじめ、ご理解・ご協力頂いた職場の皆様に感謝致します。帰還した際には、多くの仲間が病院前までお出迎えに来て頂き「本当に素敵な職場だな」と心から実感しました。これからもHEMC一途で益々職場に貢献していきたいと思います!


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