マンスリーへむく ―現場の声―:2014年10月

マンスリーへむく ―現場の声―:2014年10月

DMAT隊員養成講習を受講しました

救急部 矢形 幸久

ご存知の通り、阪神淡路大震災が発生したのは平成7年(1995年)1月17日です。私が医師として働き始めたのが平成5年4月ですので、震災発生時は整形外科医2年目(当時は初期研修制度はありませんので)が終わりに近づいたころでした。

当時被災地には岡山大学整形外科の関連病院として、神戸西市民病院と神戸赤十字病院(県庁前の旧病院)とがあり、報道写真などでもよく知られているように、西市民病院は病棟が崩れて倒壊の危険性があるため、診療不能となっていました。当時すでにオンボロだった神戸赤十字病院は奇跡的に建物の損壊がほとんどなく、ライフラインは途絶しているものの診療を行っていました。

 

岡山大学整形外科でもいち早く反応し、先輩のオフロードタイプの車に5人の医師が乗り込んで、長時間かけて神戸入りしました。今思えば、無謀な話です。そのメンバーに入りそこなった私は、実体験することはありませんでしたが、長時間圧挫されて救出された人の減張切開を、次々と廊下で行ったという修羅場の逸話を聞きました。今思えば間接的とは言え、救急外傷外科の特殊性、重要性に初めて触れたのがこの時だったように思います。

月日は流れ、縁あって神戸赤十字病院(これも旧病院です)に着任しますと、新入りの私は赤十字の近畿ブロック合同救護班訓練に(ほぼ強制的に)参加することになりました。その時、聞いた講演で印象に残ったのは、イギリスの救助隊に所属されている日本人隊員の方の話です。

 

「災害時、現場に駆けつけてトリアージや救護活動をするのは内科系の先生でも十分。脳外科、整形外科、麻酔科の先生たちは、手術可能な場所で待機しておくことが必要。」

 なるほど、と思いました。

DMATが立ち上がり、広域搬送が現実になると、「やっぱり自分は後ろで控えているべき職種なんだ。」という考えは強くなりました。

なのでDMATについては、「救急部に着任した先生たちの希望を優先してもらって、空きがあったら受講させてもらおう。どうせ受講するなら、その前にJATECも受けとくべきだな。」ぐらいの感覚でした。

 

私の「心の中の第2の故郷」である高知県混成チームに組み込んでいただいたこともあり、4日間は緊張の中にも和気藹々と過ごすことができました。高知県チームは南海地震が切実なこともあって大変熱心でした。

受講してみて思ったことは、「有事の際には古典的整形外科医(脳ミソ筋肉)の自分にだって、前線で活動できることはありそうだ。後衛を守るだけが仕事じゃない。」ということでした。極端なことを言えば、内科系の先生に廊下で減張切開はさせられませんし、実際に治療の主体は救急医になるはずなので、情報整理やコントロールなどの部分では力になれるでしょう。

「前に出るべきか、引いて守るか」の葛藤はいつまでもついて回るでしょうが、一たび何か事あるときには、どちら側でも動けるように心がけようと思います。

アジア太平洋災害医学会(APCDM)に参加しました

救急部 甲斐聡一朗

9月17-19日、災害医学の国際学会「The 12th Asia Pacific Conference on Disaster Medicine」が東京で開催されました。一般演題発表、シンポジウム発表とポスターセッションの座長をしました。

  • 一般演題
    「フィリピン台風災害に見た外国医療チームの
    国際指針の現状と課題」

WHOで外国医療チーム国際指針の担当者が学会に招待されていたので、ディスカッションになればと思って演題を決めましたが、エボラ出血熱の緊急対応が忙しかったようで来日できず、残念ながら深いディスカッションには至りませんでした。座長の先生から一般的な質問をいただき、お答えしました。発表後に自衛隊看護官の方からPKO活動地域における医療チームの分類と民軍連携に関して質問があり意見の交換が出来たのが収穫でした。

  • シンポジウム発表
    「フィリピン台風災害の外国医療チーム事後検討会の報告」

台風ハイヤン災害の対応経験から巨大災害における医療チームの調整と協働について考えるシンポジウムでした。(写真右から順に)フィリピン保健省、日本赤十字社、JICA国際緊急援助隊、自衛隊医療チーム、HuMAからそれぞれの経験の報告があり、最後に私が8月にマニラで行われた保健省主催の事後検討会の内容を報告しました。正しいメッセージを伝えるため保健省の担当官とも調整しました。ディスカッションでは、現場経験や各種会議の参加経験を元に、医療チームの登録、情報共有、活動場所の決定について、意見を述べることが出来ました。

  • 座長「自然災害ポスターセッション」

初めて座長を経験させていただきました。登録されていた10演題(日/米/トルコ)は、医療支援対応の話だけでなく、軍の救助チーム、リスクコミュニケーション、東京都の災害対応計画、工学系の演題発表などもあり多彩でした。事前に抄録を読み込み、当日のポスターも事前にチェックして、内容理解と質問を考えてから望みましたが、やはり司会進行と質疑応答を管理するというのは思っていた以上に難しく感じました。座長の仕事はなんとか無事に終えることが出来ましたが、より広い知識をつけなければと課題を感じました。