小野千由(看護部)
2004年12月26日に発生した、スマトラ沖地震による津波被害へのJMTDRの災害救援活動を、人道支援を目的として設立されたNGO組織であるHuMAが引き継ぐことなり、その活動に同行するということで、当センターから、中村先生と、私が派遣されることとなりました。これは、涙と感動!?の体験報告です。
日程
1月30日 | 東京にて打ち合わせ |
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1月31日 | スリランカへ出発 |
2月2日 | コロンボからアンパーラへ |
2月2日 | モバイルクリニック |
2月6日 | モバイルクリニック |
2月5日 | モバイルクリニック |
2月7日 | 避難所・仮設テント視察 GA-INGO meeting参加 |
2月8日 | モバイルクリニック |
2月9日 | アンパーラからコロンボへ |
2月3日 | 創処置指導・仮設診療所の視察 |
2月10日 | コロンボ観光 |
2月4日 | スリランカの独立記念日のため休日 |
2月11日 | スリランカ出発 |
2月12日 | 帰国 |
2005年1月30日 17時40分、中村医師とは、東京のHuMA・サポートオフィスにおいて、一緒に派遣されることとなった打出医師と顔を合わせました。彼は和歌山から東京までの長旅で、少し疲れた様子でしたが、笑顔をたやさず、第一印象は、なかなかいい感じ。そんな余韻に浸る間もなく、HuMAのスタッフからそれまでの活動内容や、スリランカの現状について報告を受け、私たちの任務についての説明がありました。


1月31日 スリランカへ出発。なんと、約10時間の長旅。飛行機の中は、やや空いていたので、なかなか快適でした。スリランカとの時差は3時間。(日本:10時⇒スリランカ:7時)到着はスリランカ時間で、2月1日の23時過ぎ。現地のコーディネーターが待っていてくれました。そして、すぐホテルへ直行。なんといっても蚊の多い国。ホテルのベッドは蚊帳付き。日本ではまずお目にかかれないもの!


2月1日の朝、空港のあるコロンボから、私たちの活動地域アンパーラへ向けて、車で約10時間!!陸路を爆走。これには、まいりました。やっとの思いで、アンパーラに到着。先に活動をしていた3人のメンバーと、もうひとりのコーディネーターと合流。小さな歓迎会を催してくれました。
2月2日から早速活動開始。(1日のお仕事はだいたい8時から17時頃まで。)アンパーラ県のカルモナイ地域にて、モバイルクリニック。初めて目にする被災地でした。カルモナイは、スリランカの中でも貧しく、多くの宗教と人種が入り混じるところでもあり、これまで政府もあまり介入できない地域でした。沿岸にて被災者となった人たちは、仮設の診療所までの費用がなかったり、日本の医療に期待を寄せている様子で、そのクリニックには、多くの患者さまが診察に訪れました。中村先生は、初めてとは思えないスムーズな診察。優しくて女性に大人気!!私の仕事は、現地語から英語への通訳さんを挟んでの、受付・トリアージと創処置。最初はうまくコミュニケーションが取れず、自己嫌悪に。。。。『大丈夫。みんなあなたの笑顔に救われているよ。ゆっくりでいいから』と、通訳さんに助けられながら、訪れる患者さまの話を聞けるようになりました。津波から、約1ヵ月後。少しずつ笑顔を取り戻した子どもたちもいましたが、津波によって四肢に傷を受け、十分な治療がされていない人や夜眠れないと訴える女性。両親と兄弟を失った男の子は、無表情で、食事も取れないのです。災害のあとの心の傷がそこには存在していました。
実際の診療活動のほかに、カルモナイ地域の仮設診療所を回り、診察の現状の把握や仮設テントの設営状況を見て回りました。医療レベルがそれほど高くないこともあり、設備は不十分で、津波によって受傷した患者さまへの治療も十分に行えていないのが現状でした。1ヶ月経過しているにもかかわらず、傷の治癒が進まない理由のひとつとして、創処置が徹底されていないことがあり、創処置の指導を行いました。沿岸では医療ニーズが高く、新たにモバイルクリニックを開くことを決めました。また、飲料水として供給されるタンクの衛生管理の不十分さを目の当りにし、その管理に対する助言なども行いました。同じ地域で活動するNGOとの情報交換のため、会議に参加し、様々な意見を聞き、現状を把握することも大切なことでした。


今回の活動を継続することができた大きな要因のひとつとして、私たちを支えてくれた現地のコーディネーター(カウンターパート)の存在を忘れることができません。常に私たちの安全の確保や、日本人の習慣や感情を知っているので、とても過ごしやすい環境を作ってくれました。ともに活動するスタッフの協力関係がとても大切だということを実感しました。
災害救援活動に参加することで、多くのことを学びました。最後になりましたが、私たちを支え、協力してくれた多くの方々に感謝いたします。本当にありがとうございました。