災害医療支援活動

東日本大震災における2011.04.13まで当センターの対応について

兵庫県災害医療センター センター長 小澤修一

はじめにこの度の東日本大震災により被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

皆様の安全と一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

H23年3月11日、未曾有の大震災に伴いDMAT隊員に待機要請がかかり、情報指令センターで災害対策本部を立ち上げ、DMAT派遣の準備を進めていたところ、このホームページを立ち上げてくれた冨岡先生が、高槻リハビリテーション病院から飛んできてくれ、月曜の朝まで不眠不休で助けてくれました。

HEMCチームメンバーは中山副センター長を隊長に、上田医師、津田看護係長、大西看護師、中田放射線技師、安部事業係長で、出動要請を今か今かと待っていましたが、自衛隊機の調整に時間がかかり、センター出発が午前3時、伊丹空港離陸が午前7時になりました。花巻空港には全国から参集したDMAT68隊、300名を超える医療者が参集しSCUを立ち上げました。

中山副センター長は全体の統括DMATとして、中田放射線技師はその片腕として花巻空港に残り、重症傷病者を自衛隊機で千歳、羽田、秋田空港に広域搬送するミッションを行いました。

上田医師、津田看護係長、大西看護師、安部事業係長は県立釜石病院で病院支援を行いました。HEMCチーム以外に5チームが派遣されていましたが、上田医師は全体のチームリーダとして活動しました。DMATは48時間のミッションなので、撤収を行うための第2班を13日の日曜日に派遣することになりました。メンバーは松山救急部長をリーダーに、中山晴輝医師、境看護係長、鎌本看護師、安藤薬剤師で、13日日曜日の夕方に、大阪府がチャーターしたマイクロバス2台に、大阪府立急性期総合医療センターチームと一緒に出発し、大阪府立チームは、仙台医療センターへ向かい、わがHEMCチームは、延々20時間かけて花巻空港SCUに到着しました。

今回の災害が想像を絶する広範囲津波災害で、48時間過ぎても救出患者がおり、劣悪な環境で慢性疾患が増悪したり、新たな疾病を発症した患者が広域搬送を求めて集まり、クリアカットに打ち切ることができず、撤収は困難を極め、DMAT隊員も疲労困憊し、ガダルカナル島撤退の様相を示していました。そこで情報指令センターでは、県医務課に大型バスをチャーターしてもらい現地に向かう一方、秋田空港からの飛行機とそこまでのタクシーを必死のパッチで確保し、里心がつくよう留守家族に電話しました。15日火曜に、釜石チームが帰還し、中山副センター長をはじめ残ったメンバーで花巻空港SCUを花巻消防局に移し、医療資機材をはじめとする荷物はバスに積み、撤収が完了し、17日木曜には残り全員が無事帰還しました。

この間情報指令センターに集まった職員は、当センターのみならず兵庫県、近畿地区DMATの後方支援を行いました。また高度救命救急センターの機能も落とすことなく、高度医療を提供し続けました。

その後も原脳神経外科部長が神戸赤十字病院救護班第3班の隊長として、釜石で救護所診療、巡回診療を行い、鵜飼顧問が、理事長を務めるHuMA活動サイトを宮城県志津川町に決め,甲斐医師が3週間にわたり救護活動を行い、イスラエルチームとのコラボレーションの中心を務めました。中山副センター長は、今度は宮城県石巻赤十字病院、仙台市役所で災害医療コーディネーターとして活躍中であります。

1月の院内誌に人間の本当の本質はこころです。心を形にしましょうと書きましたが、最近テレビで心は見えないが心づかいは見える、思いは見えないが思いやりはみえると心を形にする第1歩を流しています。DMAT派遣も被災地の皆さんを応援する心遣いの第1歩でした。
今後も一致団結し被災地の皆さんへの心をいろんな方法で形にしたいと思っています。


ページ
トップ