平成16年 台風23号

平成16年 台風23号(豊岡水害救護班活動報告)

台風23号による被害状況について

2004年10月20日に兵庫県に再接近した台風23号は、土砂崩れや河川の氾濫を引き起こすなど県内各地に大きなつめ跡を残しました。11月25日現在、死者26人、負傷者93人、全壊・半壊家屋582棟、床上・床下浸水家屋21、221棟にのぼり、今も163人が避難所生活を余儀なくされています。

救護班構成(順不同・敬称略)

医局 中山伸一、中村雅彦
薬剤課 大谷仁士
看護部 鎌田八重子、山本裕梨子、
水間恵美子、岡田亜紀
事業課 中田充武
総務課 松原良和
運転手 田中暢一

救護班活動状況

公立豊岡病院の6畳のカンファレンス室にて。
この後アルファ米を食べ、シュラフで川の字で寝ました!

前日はここまで水浸しだったのです!

続いて救護班第1班(本隊)今から出動!

青空の下、巡回診療に奔走する!

三江小学校の図工室で診療

Dr.カー、大いにその存在感を示す!

松原良和&小川恭一作

松原良和&小川恭一作

おかえりなさい!
ほんとにお疲れ様でした!

豊岡救護班・ひと言報告

岡田亜紀

『今回、忙しい中センターから初めて救護班として出動させて頂き、病棟の方々には大変御迷惑をおかけしました。しかし、個人のみならずセンターとしても初めての経験で学びは大きいと思われます。出動時期にあわせた医療が提供できる様、今後はどの時期に出動するのか判断し、また資機材の見直しも必要であると考えます。
今回特に感じたことは、コマンダーをしっかり決め、情報を一本化する事、院内・院外災害発生時のセンター運営体制(マンパワーをどうするのかなど)を整えていくことも大きな課題であると思います。スタッフの、災害拠点病院であることの意識づけは平素から忘れてはならないものだと思います。当センターが何故設立されたのか、基本理念を常に念頭に置き、もう1度初心に戻り考えていかねばならないと思います。
普段は普通のことだと思っていること(布団で寝て、お風呂に入ることetc)がとてもとても幸せなことだと思いました。感謝、感謝』

山本裕梨子

『今回の救護班(先遣隊)の目的は現地情報収集・提供、被災地の救護活動でしたが、センターとしても自分自身としても初めての派遣だったので、緊張と看護師として何をしたらいいのか不安一杯で出発しました。
今回の派遣の反省点・今後の課題をアセスメントし、いつ災害がおこるかわからないからこそできる事項は早急に解決していかなければならないと思いました。災害で救護班として行くだけではなく、センターに救護班に来てもらうこともあり得ますからね。自分の家でもちゃんと対策しましょうっと・・・。』

鎌田八重子

『現場でその時々の情報を収集し、どこで何をするかをチームで考えながら行動することになり、逆に行政の難しさ、複数の医療機関・医療班との連携の難しさ、水害についての多くのことを知り、考えることが出来ました。これからのセンターの救護活動のあり方を防災ワーキンググループで整理し課題を解決するとともに、私自身も災害看護について更に学習していきたいと思います。
初めての救護班が大きな問題なく協力し行動できたことをチームのみんなに感謝し、忙しいセンター業務をカバーしてくださったスタッフの協力があってこそ医療派遣ができたことをありがたく思っています。
また、あまり沢山あっては困るのですが、機会があればより多くのスタッフが救護班活動を体験出来ればと思います。』

田中暢一

『スタッフを1分1秒でも早く、しかし安全に豊岡へ運ぶのが私の役目だったので、ドクターカーのハンドルを握る手にも力が入りました。
現地では、
(1)地図がいる、
(2)通信の確保(場所によっては通信出来ない)が必要、
(3)別の救護班との情報交換が重要、
(4)災害現地において他の救護班との装備品の違い(特に日赤)
を痛切に感じました。
センターを守るスタッフの皆さま、ありがとう。また現地のスタッフの皆さま、お疲れ様でした。』

中田充武

『救護班の派遣決定やその指揮命令系統について、県災害対策本部と災害医療センターとの役割分担を明確にする必要がある。今回、出動が遅かったという意見もあるが、今の装備体系で行くのであれば、今回以上早い段階で行っても水がまだまだ残っていたので何も出来なかったなあというのが実感で、水が引いてから救護班を派遣するというのは正しい選択ではなかったかと思う。
今後もっと早く発災直後の段階から動くのであれば、消防と合同で動いてボートなども借りられる体制作りをしていかないといけないし、ドクターカーもすぐに動けるようにしなければならない。
また、パソコンやメール環境がないと十分な状況報告が出来ない、ということを痛感した。』

中山伸一

『現地でしか得られらない生の情報を提供したが、その情報が救護班派遣・撤退の意思決定に十分寄与したかどうかは疑問が残った。』