インドネシア西スマトラ州パダン沖地震災害

インドネシア西スマトラ州パダン沖地震災害

インドネシア西スマトラ州パダン沖地震災害に対するJICA国際緊急援助隊医療チーム 活動報告 ~ 奇跡の装置復活 ~

放射線課 中田正明

地震発生の概要

  1. 発生日時:9月30日17時16分(現地時間:日本時間19時16分)
  2. 震源地:西スマトラ州パダン市西南西45キロメートル
  3. 震源の深さ:80キロメートル
  4. 地震の規模:マグニチュード7.6(アメリカ地質調査所発表)
  5. 被害状況:
    震源地に近い町では多数の建物が損壊。インドネシア報道等(日本時間2日20時現在)によれば、
    死者約1,100名、負傷者約約2,300名、数千名が建物の下敷きになっている模様。

 

上記災害に対し、外務省はJICA国際緊急援助隊(以下:JDR)医療チームの23名の派遣を決定した。

10月1日13時45分派遣希望者募集→14時30分締め切り→15時派遣者決定→第1陣19時30分成田集合

今回は上記のような、過去の前例にない程の緊急の召集そして派遣だったのです。これまでの医療チーム派遣は、救助チームの派遣が災害発生から1・2日後にあり、その後に救助チームと入れ替わりで医療チームの派遣という流れであったが、今回は救助チームと同じ超急性期に現場に救援に向かうという初めての試みでした。

今回、私は1陣より12時間遅れでの成田出発となったのですが、まずは医療チームと救助チームが活動しているパダン市を目標に移動しました。我々が到着すると、パダン市では西スマトラ州知事官邸の庭?(芝生がありかなり広い広場)に救助チームの拠点があり、活動を展開していました。一方、医療チームは先遣隊の数名がさらに60km震源地に近いパリヤマン市まで調査に行き、医療チームの活動拠点をパリヤマン市役所前に決定したとの事で、早く後続チームもパリヤマンに移動し合流してほしいとの情報でした。しかし、州知事官邸にタイミング悪くインドネシア副大統領が表敬訪問中で、3時間近くセキュリティーの為に車両の移動ができない状況になってしまったのです。

それを聞いた先遣隊より、「放射線技師の中田だけでもこっちに来られないか?」と連絡があった。内心「ええっ!何?なんで俺だけ?」と思いながらも平静を装い事情を聞くと、パリヤマンには大きな総合病院は1施設しかなく、その病院ではライフラインが途絶えている為にレントゲンが撮影出来ないとの事・・・さらに、骨折と思われる多くの外傷の患者が病院の廊下で、画像評価もできないまま寝ている。
発電機で稼働するポータブルレントゲン装置を装備してきているJDRとしては、この病院に支援が必要だと判断し、装置は先遣隊と既にパリヤマン入りしており、あとは技術者だけという事情だったようで、なるほど、それは少しでも早く・・・と思ったのだが、車両が動けない現状と発電機のガソリンの入手が困難な為に、結局パリヤマンで医療チーム全員が合流できたのが、夜になってしまった。やはり、海外の活動では移動だけでも本当に大変であることを痛感しました。

全員合流後のミーティングでも、「今回はレントゲンの活躍がポイントになるから、明日は朝早々から装置・システムを組み、稼働を頼むぞ!」と副団長から言われながら「はい!」とまたしても平静を装い返事をしたのだが・・・実は、この装置は非常にコンパクトで稼働すればとても優秀な装置であるが、システムが非常にナイーブで結構手順通り組み上げて、起動させてもエラーを連発したり、以前のミッションでは稼働しなかった例もあったのです。そのことを心に秘め、あとは日本に向かって手を合わせるだけだった・・・「日本の皆様、どうか明日無事に装置が稼働しますようお力を!!」寝つけない現地の初夜でした。

次の日は朝からチーム全員で診療サイトの立ち上げとなりました。私はもちろんレントゲン装置の組み立て・設置作業に入りました。多くのプレッシャーを受けながら、まずは装置の入った大きなジュラルミンケースを開けてみました。

うん?・・・うん!?えっ~!!最悪・・・・・

なんと私の眼に飛び込んできたのは、ケースのふたに挟み込まれた一本のケーブルでした。
まさにペチャンコ!!という表現がピッタリ・・・終わった。天を仰いだ。すぐにケースの中に予備のケーブルがないか探したが、やっぱりなかった。そこから、7~8割は諦めながら悲壮感を漂わせ組立・設置を続けました。後日談であの時はさすがにかける言葉がなかったと、周りにいたチーム員が言っていました。私は「装置が動かなかったら、ここまで何をしに来たんだろう・・・」その言葉を繰り返し、作業にあたったのです。

組立・設置終了後、とりあえず電源起動してみましたが・・・やっぱりエラーメッセージ出現。メッセージ内容「断線エラー」。ペチャンコのケーブルに間違いない。昨日から総合病院でも必要だと言われ、期待され、完全にプレッシャーに負けた感じ。再度、配線を確認し、組み直し再起動、そしてエラー。おそらく10回近く繰り返したが復帰しませんでした。

やっぱり、ペチャンコのケーブルの中の配線が断線しているのだろう。すると、チーム員のロジが「ペチャンコの部分を切断して繋ぎなおそう!それしかない!中田君いいよね?」と言い出した。えっ、ちょちょっと待ってください。家庭用の電源コンセントのように簡単なケーブルでない為、一度日本に電話し、装置のメーカー担当者に連絡をとり確認することとした。しかし、土曜日でなかなか連絡がとれずに、折り返しの連絡待ちの時間が続いた。

そんな悲壮感が漂っている中、ふと・・・いや、いや、ちょっと待てよぉ。。。もしかして、最初にペチャンコのケーブルを見てしまったから、これが原因と決めつけているが、実はここじゃないかも・・・と何かが舞いおりてきたように、ふと思った。

そこで、目に入ったのがパワーボックスと呼ばれる全てのケーブルが集約されているボックスで、このシステムの中でとても重要な部分ある。「これを分解して、中を見てみよう!」衝動的に分解を始めた。それを見て「もうこれ以上傷口を広げるようなことにはならないか?」などと言われたが、ここはできることは何でもやってみるしかないと、まさに「必死」の二文字のなにものでもなかった。

多くのネジを外し、ボックスを開けてみると何本かの配線が現れ、良く見るとそのうちの数本が抜けているではないか!!おっ、お~!!マジっ・・・いや、ししココを再度差し込んでも、ケーブルがペチャンコになったのは現実である。ここは冷静に、誰にも言わずゆっくり差し込んで、システムを再起動してみた・・・

なんと!!エラーメッセージ消失!!システム正常起動!!ここで「なおった!!」と大きな声で叫んだ。執念のパワーボックス分解だった。本当にうれしかった。前夜に、日本に向け力をかしてくれるよう祈った何かが、ふと違う原因ではないかと思わせてくれたに違いないと、勝手に思いました。奇跡の装置復活!

 

それから、10月14日まで約2週間の医療活動を行い、延べ1,450名の患者の診療を実施し、X線撮影においては、総患者数の一割弱(82名)の撮影を無事実施することができました。主に地震時に受傷した骨折などの外傷と、感染症の流行もあり呼吸器疾患に対する胸部撮影となったのですが、呼吸器疾患に関しては、乳幼児~小児の患者が多いのが目立ちました。

今回の派遣により、本当に貴重な経験をすることができました。これは私のこれからの医療従事者として、また人としての人生に大きな影響を与える事と思っています。そして、遠く離れた地でも、多くの力・想いによってピンチを脱出することができたとも勝手に思っています。

今回のへむくでは、ほとんど「~奇跡の装置復活~」の裏話になってしまいましたが、この貴重な経験を私に快く与え、2週間もの期間各方面において協力いただいた、当センターの皆様、放射線スタッフの皆様、関係者の多くの皆さん、そして家族にこの場を借りて心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。そして、この経験を活かし、これからも皆さんのお力をお借りして、少しずつでも私のできる災害医療活動を行っていきたいと思っています。

インドネシアパダン沖大地震 JDR医療チーム 活動に参加して

ICU 看護師 山本裕梨子

2009年10月2日~14日の2週間JDR医療チームの一員として活動に参加させて頂きました。国際派遣活動3回目となりますが、毎回違い、今回も貴重な経験をすることができました。スタッフみなさんの理解と協力があってこそだと思っています。本当にありがとうございました。

(派遣中に印象に残ったことなどを書きました。派遣の詳細な話、興味あるかたはやまもとまで直接気兼ねなく聞いて下さい。)

私が印象に残った派遣までの流れ

10月1日 休み、昼間天気がよく、ごはんの買い出しに近所のスーパーへ行き帰宅すると携帯電話に着信メールがあり。確認すると「JICAからJDR 救助隊の派遣要請、活動1週間予定、看護師2名募集」。携帯電話、パソコンで内容を確認、次に私自身の意思、体調、スケジュールの確認、「応募したい」と決めHEMC 所属長鎌田師長へ連絡。
この派遣要請からセンターへの連絡の流れは、毎回、突然に、時間がない、どきどきすることで私は、今まで5回ぐらい?行っている。皮肉にも災害が起こり回数を重ねるごとにセンターでの人選、応募決定は早くなり、今回も本当にスムーズで早かった。
今回の応募に関しては、スタッフのインフルエンザ罹患、看護部異動によるスタッフ戦力の低下があったが、HEMCの理念のもと、センター長、事務部長、看護部長、師長、スタッフの協力と迅速な判断にて応募決定、応募時間内の連絡ができた。その後、JICAへ応募意思を連絡し、荷物準備
しかし、残念なことに決定時間になってもJICAから連絡がなく落選となった。その30分後、「JICAからJDR医療チーム派遣要請、活動2週間予定、看護師7名募集」。先程と同じ流れでHEMCへ連絡。活動形態が変わったが、HEMC幹部の対応はまた、また早く応募決定がされ、応募時間内にJICAへ連絡できた。しかし、今回も残念なことに決定時間になってもJICAから連絡がなく落選と思い、今までの報告のためHEMCへ向かう途中JICAから連絡があり「連絡が遅れましたが活動メンバーとなりました」と連絡があり決定となった。

インドネシアの概要

地震があったスマトラ島は日本の1.5倍、震源地近いパリアマン県は九州全体と同じ大きさ。
赤道に近い。イスラム教。

地震の被害

大きな村が3つ山にのまれ跡形もなかった
だいたい3件に1件の家が潰れたと、死者約880名、重症、約900名(10月12日)

活動内容

フィールドクリニック、巡回診療、生活調査
看護としては、受診患者のトリアージ、処置介助、できれば看護記録の記入、指導、薬局

うれしかったこと

  • 患者さんの笑顔とありがとうの言葉、元気なっていく患者さんの姿
  • 沢山の人々に出会えたこと
  • HEMCから皆さん御協力と判断にて看護からJICA応募できたこと
  • 私がメンバーとして活動できたこと(1日代行チーフもできたこと)
  •   

 

困ったこと

  • 日中、40度近く暑かったので水を多めに飲んでいたが初便秘になやまされたこと

People to People

  • 団長の言葉
  • 日本からの医療チームを現地の方々が受け入れてくれたこと
  • 沢山の患者さんがJDRクリニックを受診、治療できたこと
  • 心強いメンバーで支えられたこと;HEMCのスタッフ、友人、家族、パキスタン派遣時共に活動した看護師さん、DMAT 、JICA救助研修で知り合った先生や看護師さん、

最後に、 地震で亡くなられた方々の冥福をお祈りし、一日でも早いインドネシアの復旧、復興を願います。