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新潟県中越沖地震
(医療救護班活動報告

1.はじめに

兵庫県災害医療センターでは、7月16日(月)に発生した新潟県中越沖地震に対する医療救護活動並びに現地調査のため、中山副センター長を長とする医療チーム(10名)をドクターカーと借上げ車両を利用して、新潟県柏崎市のJA新潟厚生連刈羽(かりは)郡総合病院に派遣した。刈羽郡総合病院は、新潟県の災害拠点病院(病床数440床)の一つで、この度の災害ではDMATの参集拠点となった。また、避難所の医療拠点となったのは、数キロ離れた元気館(柏崎市)であった。兵庫県災害医療センターの医療救護班チームは、7月17日(火)朝、JA新潟厚生連刈羽(かりわ)郡総合病院に到着し、DMAT代表者会議での医療活動の方針決定を受けて、当医療チームは、刈羽郡総合病院の医療支援と巡回診療活動を担うこととなり、2チームに分かれ、それぞれ医療活動を展開した。

2.新潟県中越沖地震災害の概要

7月16日(月)10時13分頃、新潟県上中越地震沖の深さ17kmを震源とするとするマグネチュード6.8の地震が発生。新潟県の長岡市、柏崎市と刈羽村で震度6強を、上越市、小千谷市と出雲崎町で震度6弱を記録した。新潟県で震度6以上の地震を観測したのは、H16年新潟県中越地震で震度7を記録した以来である。

3.被害の状況

  人的被害 住宅被害
  死者 重軽傷者 全壊 半壊・一部破損 半壊・一部破損
新潟県 10 1278 944 1689 2633
長野県 0 28 0 174 174
富山県 0 1 0 0 0
10 1307 944 1863 2807

(新潟、長野両県、消防庁まとめ − 18日午後10時半現在)

4.医療救護班派遣日

平成19年7月16日(月)〜7月18日(水)

5.医療救護班派遣要員

派遣要員 10名

【内訳】
医師 中山副センター長、松山救急部副部長 2名
看護師 鎌田師長、安井看護師 2名
調整員 安部事業係長、黒井救命士、奥見救命士 3名
運転員 田中、中上、長濱 3名

派遣車両は、ドクターカーと借上げ車両2台で、医療資器材等の自己完結できる資材を搭載した。

6.柏崎市までの交通経路

災害医療センター災害対策本部が掴んだ柏崎市までのアクセス情報を基に、現地に向かう。

【アクセス】
災害センター(HEMC)

阪神高速摩耶IC

名神高速(西宮)

名神(米原)から北陸自動車道

北陸自動車道 柏崎IC

県道経由 刈羽郡総合病院

7.兵庫県災害医療センターの活動概要(時系列)

7月16日(月)
10:13 地震発生
11:00 センター災害対策本部設置(中山Dr、冨岡Dr、中田Logi)EMIS(災害救急医療システム)にて「DMAT派遣可・準備中」を入力、各種の情報収集(電話、インターネット等)
13:53 派遣決定 (出動準備開始-資機材積込み)
14:18 柏崎市へのアクセス方法等の道路状況情報収集(再)
15:30 新潟県柏崎市の刈羽郡総合病院に向け出発
【派遣職員】
 医師2名(中山副センター長、松山救急副部長)
 看護師2名(鎌田師長、安井看護師)
 調整員3名(安部事業係長、救急救命士:黒井、奥見)
 運転員3名(田中、中上、長濱)
医療チーム出発後、センター災対本部においては、柏崎市に向かっているDMATチーム、新潟の拠点病院に連絡を取り、各種情報を収集する。
18:30 センター災害対本本部から刈羽郡総合病院の現地統括DMAT熊谷Drに連絡を入れる。※初めて、電話が繋がる。
【情報】
30チームのDMATが参集。現在は、医療チーム活動を収束方向 センター災対対策本部では、現地統括DMATとも協議し、夜間における医療態勢は確保できていること、北陸自動車道及び国道8号線の亀裂等の道路事情悪化のため、深夜の現地入りを見合わせ、富山県魚津市内に医療チームを宿泊させ、翌早朝出発するよう指示した。
21:30 魚津市内のホテル着

7月17日(火)
6:00 魚津市内のホテル発
8:34 DMAT参集場所である刈羽郡総合病院に到着
8:50 統括DMATである新潟市民病院熊谷医師を中心とした参集チームで、DMAT災害対策会議開催する。
※本日のDMATの役割として、刈羽郡総合病院の救急外来の支援・避難所の医療ニーズの把握があることが伝達され、チームの役割分担が行われた。
9:58 当センターチームは、2チームに分かれ活動開始
松山班(安井、黒井、長濱)4人は刈羽郡総合病院の救急外来担当し、十数名の救急患者を他のDMATと協力し活動。
中山班(鎌田、安部、奥見、田中、中上)6名は避難所の医療ニーズの把握を担当となる。中山班は、元気館に設けられた医療合同対策本部(新潟市民病院林医師が担当)の指示を仰ぎ、避難民の多い避難所4カ所を周ったが、ライフラインはいずれも途絶し、給水車や発電機に頼っており、食事は配給、一部炊き出し。仮設トイレは7基程度が設置されているが、絶対数不足。
巡回診療により、20数名(いずれも軽症)の応急処置や血圧測定などを行ったほか、水分補給、飲食、運動、慢性病の内服の重要などへのアドバイスを行った。
医療ニーズの評価では、重症の外傷や疾病患者への医療ニーズはもはや高くなく、今後避難民への細かい医療支援(慢性病の悪化や脱水予防静脈塞栓症予防、いわゆる心のケアなど)の確立が急務と考えられた。
18:00 元気館での医療合同ミーティング(DMAT代表、地元医師会代表、日本医師会医療チーム代表、新潟県赤十字代表、新潟県医療行政代表などが中心となり、各医療チーム代表が参加)に参加。今後の基本路線を決定。
18日から地元医師会のクリニックも一部を除いて殆どが診療開始すること、刈羽郡総合病院も日常診療再開されること、そのサポートは新潟大学チームなどで担当。今後問題となる避難所医療は、赤十字、医師会、新潟県、保健所などが中心となって引き継いで巡回診療を強化する方針。acute phaseで動いたいわゆるDMATは18日朝で撤収の方針決定。
当センターチームもその線で動くこととし、具体的活動内容は本部と徳洲会チームに引き継いだ。

7月18日(水)
8:00 DMAT現地本部熊谷医師に方針変更のないことを最終確認の上、帰途につく。
16:30 センターに無事帰着。


■DMAT参集拠点
 JA新潟厚生連刈羽郡総合病院   柏崎市北半田2-11-3

■避難所の医療拠点
 元気館 柏崎市栄18-26

■巡回した避難所4箇所
 松波コミュニティセンター
 松浜中学校
 荒浜コミュニティセンター
 荒浜小学校

写真による活動紹介

■地震発生後、テレビやEMISによる情報収集の様子
■センター災害対策本部の設置の様子
■医療救護班の出動の様子
■柏崎市までの道のりの様子
■DMAT参集拠点である刈羽郡総合病院の様子
■刈羽郡総合病院での支援活動の様子
■巡回診療の様子
■避難所の様子
■避難所での診察の様子
■倒壊した家屋、亀裂の入った道路の様子
■センター災害対策本部会議の様子
■センター到着、報告会の様子

7.16 11時 災害対策本部設置


7.16 13時53分 出動決定

7.16 医療救護班メンバー10名

7.17 亀裂の入った北陸自動車道

7.17 中山Drからの活動指示

7.17 刈羽郡総合病院での活動チーム

7.17 巡回診療の活動チーム

7.17 柏崎市内の避難所の様子@

7.17 避難所の情報収集をする中山・鎌田

7.17 センター災害対策本部会議の様子

7.17 亀裂の入った道路(柏崎市内)

7.17 18時 元気館での合同会議

7.17 16時30分 無事にセンター着

 

 

8.EMIS(災害救急医療システム)、DMAT隊員への携帯メールについて

  この度の災害におけるDMATチームの活動状況については、EMISによりタイムリーな情報を掴むことが出来、当センターの活動の指針に役立った。当センターが担っているDMAT研修でも本年度に入ってからEMIS関係の講義を充実強化しているところである。
  また、DMAT隊員への携帯電話へのお知らせメールは、7月16日10時37分の待機要請から待機解除まで計6回の配信があり、それ以降も必要に応じて現地情報の提供があった。厚生労働省から全国の隊員に対して情報発信することは、早期の初動態勢の構築や情報を共有するうえで、非常に有益であると思われます。

 

9.まとめ                                      

  平成19年7月16日に発生した新潟県中越沖地震災害への医療救護班の派遣は、平成16年10月以来の県外への2回目の派遣となった。
  この災害においては、センター災害対策本部が11時に設置され、EMISにより全国のDMATチームの動きを掴むことが出来るなど、前回とはかなりの情報量の差があった。
 医療救護班として2チーム分の要員で現地入りし、DMAT参集拠点での活動、また、巡回診療による医療ニーズの把握など、当センターが課せられた任務は、一応、果たせたと思料します。

 今後の課題を挙げるとすると、DMATでいう調整員の強化であると考えます。
  この度の派遣メンバーの構成は、医師2名、看護師2名、調整員は、職員1名、救急救命士2名、ドクターカー運転手3名、計6名であった。本来であれば、調整員1名で、車両の運転、各種記録、各機関との調整等々の雑多な業務がありますが、この度は、運転をドクターカーの運転手にお願いし、記録関係の一部を救急救命士にお願いするなど、調整員としての業務の軽減につながり、その分、幅広い業務に従事することが出来ました。この度は特例としても、現地での調整員は、運転要員も考慮し、最低2名以上の確保が望ましい。
 また、センター災害対策本部にも調整員としてのノウハウを持ち合わせた職員が、数名必要である。調整員は、充実した医療活動が行えるよう、各種調整等、後方支援を行うことが主の業務で、調整員無くして医療救護班活動、DMAT活動が出来ないと言っても過言ではないと思います。
  この度は、各種情報収集、報告書の作成、宿泊場所の手配等々、センター災害対策本部の強力なサポートを受けました。
  現在、調整員の役割は、災害医療活動において、必要不可欠として認識が高まっており、この度の活動においても重要部門であることが明確となったと思われます。
  この災害を機に、医療スタッフの養成もさることながら、調整員の充実強化を図る必要があるのではないでしょうか?!
  
派遣メンバーからの感想@

統括(医師) 副センター長 中山伸一

台風4号のことを心配しつつ、でも無事通り過ぎほっとした矢先の地震。ICUでそれを知り、「えっ、また新潟?」と驚きながら情報指令センターに走った。
派遣決定まで多少時間がかかったが、無事帰還した今、やはり行かせていただいてよかったというのが実感である。良かった点と今後の課題を以下にまとめた。

評価できる点:
(HEMC)1:当センターの立場や責務も考慮に入れて、遠距離をものともせず医療チームを迅速に派遣、被災地内で活動(被災地内拠点病院支援と避難所巡回診療)できたこと。
 2:前回の新潟中越地震での派遣経験を生かし、大きめのレンタカーも借りあげドクターカーと2台で派遣し、加えて派遣チームにいわゆる救急救命士や運転手なども参加していただき、ロジスティックス強化のもと長距離派遣に臨んだこと。
 3:残念ながら当日の被災地乗り込みは果たせなかったが、途中泊はチームの安全と休養の意味から重要であり、結果として翌日マックスパワーで活動できた。
  4:情報指令センターに立ち上げた院内対策本部による後方支援体制により、連携しながら混乱なく活動できたこと。
(全体)1:初めて大々的にDMATが発災早期から動いたこと。それにより、被災地内での震災当日から医療の立ち上げに貢献した。
 2:厚生労働省のDMAT待機要請に引き続いて、新潟県が近隣県に正式派遣要請を行ったこと。
 3:被災地内の災害拠点病院がDMAT参集拠点、新潟県内のDMATインストラクターがいわゆる統括DMATとなり、医療の指揮命令系統が確立されたこと。

 4:加えて、医師会、日赤、新潟県内拠点病院、行政など医療の総合統轄本部が元気館(保健医療センター)に設置され、情報共有により医療の方針決定や担当医療チームの移譲がスムーズに行えたこと。
 5:東京災害医療センターによる新潟県の統括DMATへのサポート。その業務調整により、刈羽郡総合病院のDMAT受入れや元気館での医療統括が組織を超えて一本化され、大きな問題なく対処できた。

今後の課題:
1:当センターにおける災害時参集体制確立の手順(どのような場合に緊急連絡網をどこまで回し、災害対策本部を立ち上げるか)再確認
2:もし、西日本で同じレベルの地震が起ったとしたら・・・?西日本の災害拠点病院やDMAT隊員は今回と同レベルの対応ができるか?また、そのサポート役を兵庫県災害医療センターはこなせるか?
3:派遣できる院内メンバーの養成
4:院内後方支援メンバーの養成
5:被災地内の受け手側災害拠点病院の体制確立
などが、今後の課題として認識しておく必要があると感じた。あと百年は神戸に大きな地震は来ないと無意識に信じていたが、その認識が誤りであることを今回の新潟沖地震は教えている。

派遣メンバーからの感想A
(看護師)看護師長 鎌田 八重子

 7月16日10:40ごろ、感染セミナーに行くつもりで駅にいました。携帯チェックしたら「着信メール」葛藤の結果、個人装備をとりに自宅へ帰り方向転換して災害医療センターへ来ました。平素から災害に携わっている私は、やはり関心は高かった。
 新潟は以外に遠く、10時間近くかかりついたときにはとりあえず晩御飯の確保。災害時はまず腹ごしらえ「体力確保」です。翌日現地DMAT対策本部・合同対策本部を経由して地域の医療ニーズの確認を目的に避難所を巡回した。医療ニーズは確かに高くはなかったが、被災者が受けた心の傷は被害の大きい少ないに関わらずあるものです。体育館での共同生活はやはり心休まるものではない、梅雨のじめじめした高い湿度、人の熱気の中での生活はこれから非常な状況になるのでしょう。今回派遣中、病棟スタッフ・後方支援してくたかたにお礼を言いたいと思います。忙しい中ありがとうございました。

派遣メンバーからの感想B
(調整員)事業係長 安部 雅之

 この度の医療救護班としての派遣は、3年前(平成16年10月)の新潟県中越地震を含め2回目となりました。
 3年前の派遣時と比較し、現地状況や道路状況等の情報量が雲泥の差で豊富で、当センターの災害対策本部のバックアップのお陰で、安心して現地に向かうことが出来ました。
 やはり、DMATという組織による初動態勢が凄い!EMIS(救急医療情報システム)から得ることのできる各DMATチームの動き。これも研修の成果でしょうか!!
 2回目ということもあり、少しは要領を得ているつもりでしたが、業務調整員としての自分の役割としては、出動決定までの段取りの悪さを猛省しています。地震発生後、11時頃には、災害対策本部が設置されましたが、自分の役割を十分果たせたとは思っていません。
 やはり、日頃の備え、災害に対するイマジネーションの欠如に問題があると感じています。
 事業課として、災害発生後の連絡体制、資器材の準備等、初動態勢の強化に努めたいと思います。

 

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